(100万円の贈与の有無について)

 100万円の贈与についての籠池理事長の供述は具体的で生々しかった。籠池は、もらった直後に幼稚園職員に話したというのだから、真偽を確かめたいのであれば、職員から話を聞けばいい。他方、昭恵夫人は、園長夫人に対して贈与について「覚えていない」とメールをした。渡していないのであれば「ない」と断言すればいいのにそういわない。これに対して園長夫人は「ひどすぎる」と回答。渡したのに渡していないと手のひら返しをした昭恵夫人を非難しているように思える。昭恵夫人のメールがむしろ怪しく思われる。

 報道は、昭恵夫人が贈与を否定しているかのように伝えているフェイスブックの「渡した事実がない」との記載が根拠のようだ。しかし、これは、政権におもねっているしか思えない。昭恵夫人は上記の通り、メールでは100万円の贈与について「覚えていない」と言っているだけだ。他方、フェイスブックの記載は、どう考えても官僚が籠池の話しを聞いた後で作成したものである。いずれにしろ、昭恵夫人から直接に話しを聞かない限り、100万円の贈与があったのではないかと多くの人が思っても仕方がないだろう。

(幕引きの方法)


 政権側は、籠池理事長を威圧的に尋問し、最終的にはその証言の信ぴょう性がないといって森友学園事件の幕引きを狙うだろう。国民の側は、こういう印象操作に絶対乗らないことが肝腎だ。

 この場合、100万円の現金を昭恵夫人が籠池側に差し出したかどうかの事実が一つの争点になるのは間違いない。

 籠池側のストーリはこうだ。

 「2015年9月5日(土)に明恵夫人が講演のために幼稚園に来た。主人からですと言って100万円を籠池に手渡した。籠池はそれを受け取って、9月7日の月曜日に郵便局に払込伝票を使用して森友学園の払込口座に振り込んだ。その時、控伝票に「安倍晋三」と書き込んでいたところ、局員に本伝票の名義人と控伝票の名義人が違うのは困るといわれて、「森友学園」に訂正した。」

  昭恵夫人がお金を差し出したという直接的な証拠はない。しかし、籠池の話は具体的であり自然である。①当時は、安倍首相も昭恵夫人も、森友学園の教育方針に共鳴していた。よくぞ、安倍の理念を実現する小学校を造る決意を固めてくれた、よくぞ、昭恵を名誉校長にしてくれたという気持ちを込めて祝儀との意味合いでお金を渡すということも不自然ではない。②振込票の控えに当初「安倍晋三」と記載している。これは、100万円が安倍総理から渡されたものであるということを籠池側で記録する意味だったとしか考えられない。③また、安倍総理が手の平を返して籠池を「しつこい」とつけ放した後も、昭恵夫人が講演料などのお金のやりとりにつき籠池側にメールをしていたという事実は、金銭の何らかのやりとりがあったのではないかということを疑わせる。

 私は、直接証拠がないので、「渡した」とまでは認められなくとも、「渡した可能性はゼロではない」と考える。昭恵夫人側には黒でも白でもなく灰色なのだ。民事訴訟で争われれば、立証できていないということで籠池側は敗訴ということになる。それを政権側は、立証されていないことを強調してくるだろう。

 しかし、不思議だ。真剣にシロクロつけたいのであれば、他の関係者をどうして聞こうとしないのか?特に、私は昭恵夫人の話しを聞いてみたい。9月5日は、名誉校長就任のために幼稚園に来園したわけだ。その時の「お気持ち」はどうだったのだろうか?祝儀のいくらか出してあげたいという気持ちになったのではないか?

 そもそも、籠池だけを弾劾して昭恵夫人などの他の関係者を呼ばないで勝敗をつけようとする政権側の態度自体問題で、公平な審理の前提を欠いている(あくまで民事訴訟は公平な審理のもとになされている)ことを私たちは理解するべきだ。

 また、そもそも民事訴訟と政治とは別である。政治は国民の信任に依拠して行われる。「渡した可能性がゼロではない」のであれば、国民の不信感は払拭されることがない(私たちは払拭してはいけないのだ)。その疑いを払拭する責任は常に政権側にあるからである。

 私たちは、政権側の「印象操作」に騙されないこと、疑惑が何ら払拭されていないではないかということを堅持する必要がある。

(2017年3月19日 初稿、20日全面改訂)

 森友学園の籠池前理事長の国会証人喚問が23日に決まった。本人の口から新たな事実が出ることを期待する向きもあるが、与党やマスコミが籠池のウソつきキャンペーンをして事実上森友学園問題を終わらせようとたくらんでいる節もある。多くの人には、2006年の永田寿康衆議院議員の偽メール事件で当時の前原民主党執行部が総退陣したことが思いだされるようだ。

 私は、2001年1月に当時の安倍自民党幹事長代理がしたNHKに対する番組介入事件のことを思い出す。

 2000年、NHKでは、戦時性暴力のドキュメンタリー番組が企画されていた。その番組をNHKは製作会社に依頼し、製作会社は、従軍慰安婦問題を取り上げた「女性国際戦犯法廷」を取材した。

 ところが、この内容が自民党の知るところとなり、翌年1月下旬、安倍(当時は自民党幹事長代理)、中川がNHKの幹部職員を呼び出して、同番組の放映中止を要求した。NHK幹部らは、予算時期とも重なっていたために、同氏らの要求を考慮し、番組放映の直前に大幅な改変をして放映した(放映は2001年1月30日)。

 これは、2005年1月になってNHKの当時のデイレクターが朝日新聞記者の取材で告白したものだが、安倍や中川は、介入したつもりはないなどと開き直った。NHKも、「朝日の虚偽報道」などと問題をすりかえた。その後、この問題は、朝日が自分の報道を検証して、一部謝罪したような形で終わってしまった。

 結局、政治家の言論干渉という憲法上の大問題が、朝日新聞の誤報問題に矮小化されてしまい、言論干渉の是非がうやむやにされて終わった。この後、朝日は自民党や右派マスコミから攻撃されていった。

 問題の本質は、国有地のタダ同然の売却である。この解明に尽きる。安倍が100万円を渡した証拠があるかどうかとか、籠池の話しの信ぴょう性があるかどうかといった問題ではない。

 少し前のことですが、2月26日に市民プラザで「共謀罪」の学習会をしました。以下のようなことを話しました。

 「最近の世論調査の結果をみると、共謀罪の制定に肯定的な意見が多い。2月14日のNHKの調査、「テロ等準備罪」につき必要が46%、必要でない14%、2月20日の日本テレビの世論調査、「テロ等準備罪」に賛成が33.9%、反対が37%。2月20日の朝日新聞は賛成が44%、反対が25%。

 賛成が多いのが驚きかもしれないが、その多くは名前に惑わされその本質を知らないだけだと思う。みんな「テロ対策」という目的に惑わされてテロ対策だからいいとか仕方がないとか思考が停止してしまっているのだ。テロ対策だからいいと考えるのか、治安維持法のような弾圧立法だからダメなのか。国家の権力行使を性善説と考えるか性悪説と考えるかの違いが議論の分かれ目なのだろう。

 ただし、テロ対策の法律だから大丈夫というのは、危険な考え方なのだ。刑罰は、人の生命・自由・財産の自由をはく奪する過酷な制裁である。しかも、国家はもともとこの刑罰権を濫用してきた歴史がある。そのため、刑罰権の行使も刑法も謙抑的に解釈されなければならない。つまり、犯罪を新たに定める場合、常に必要最小限度のやむをえないものであるかどうかが問われなければならないということになる。今回の「テロ等準備罪」という共謀罪も同じことだ。本当にやむを得ないものといえるのかどうか。これが厳しく問われなければならないのだ。」 

 危険なモノを私たちの上空に飛ばそうとするならば、その安全性を自分たちで確認することが大原則だ。安全性を他人任せにしていて大丈夫だなどという安倍政権の知的レベルは、専門家に任せたらオレは知らないといって開き直る石原元東京都知事と同じレベルなのだ。

 安倍政権は、中国や韓国、北朝鮮には勇ましく主権を主張する。しかし、主権というのは、国家に所属する国民を守るための概念だ。なんでアメリカに安全性を確認させろといえないのだろうか。安全性を調査できないというのは、国に主権がないということと同義で、この国は治外法権なのだ。安倍政権は、日本を取戻すのではなく、日本をアメリカに売り渡そうとしている。 

 残念なのは、私たちの住む上越市も妙高市も政府には弱腰ということだ。要請に行っても、国の政策だから仕方がないといい、飛行の安全を要請しても、決して飛行の中止を求めようとはしない。地方自治の本旨というのは、住民自治と団体自治だ。国に住民の意思を伝えなくては地方自治体としての意義がない。地方自治体は、国の下請け機関じゃないんだぞ。

 そんなことを現地実行委員会代表としてお話させていただきました。

 共謀罪について反対だと言って、また「おまえは反対か?」と思われる。思われるのは仕方ないが、その怖さをうまく普通の人たちに伝えられないことをすごくもどかしく思う。

 私は、今回の「共謀罪」法案に心の底から反対する。なぜなら、冤罪が作り出されることの怖さ、警察の思い込み捜査の怖さを仕事を通じて実感している。「共謀罪」は間違いなく冤罪を生み出す。

 冤罪は、思ったよりも身近にあることを知ってほしいと思う。

 普通の人々は、冤罪なんてマスコミで報道される事件程度のものとしか思っていない。たしかに、冤罪を「裁判で無罪になる事件」だと限定すれば、無罪事件は起訴されたうちの僅か1%と言われている。少ないのだ。しかし、嫌疑を受けて逮捕・強制捜査された結果不起訴になる事件もある。例えば、任意捜査で2ヵ月近くも警察から出頭要請を受けて取調べを受け、その結果捜査機関側が途中で捜査を断念するという事件もある。こういう「捜査段階での冤罪」も「冤罪」ということになると、すごく事件数も多くなるはずだ。

 「裁判上の冤罪」も「捜査段階での冤罪」も、疑いをかけられる生身の人間には大変な疲労感をもたらすことには違いがない。こういう「捜査段階での冤罪」は、思い出すだけでも2回経験がある。

 そして、日本人は、警察のように強いものから疑われたり凄まれたりすると、その場から逃れようとしてその強いものの誘導的な質問に迎合するかのような供述を始める。これは、経験した人でないとわからない。

 私の依頼者Aさんは、ある法人の経理を担当していた。日々の業務で帳簿と実際の現金の流れと辻褄の合わない部分があった。それを法人の理事たちが集まった場所で理事たちから執拗に追及された。孤立無援のAさんは頭が真っ白になり、着服してしまったかのような供述をした。そして、その供述を録音され、業務上横領の疑いで逮捕・拘留された。このAさんは幸い不起訴になった。しかし、預金の履歴や買い物の履歴を見ても、Aさんが着服したという根拠になる証拠はなかった。民事事件で法人が損害賠償を求めることは理解可能だが、警察の強制捜査までするべき事件ではなかったと今でも思っている。

 私の依頼者Bさんは疑いをかけられて連日長時間の取り調べを受けた。これも、結局、警察から疑いをかけられて頭が真っ白になり捜査官に迎合する供述をした。そうしたら次の日から関係者が次々と取り調べを受け、関係各所に警察が資料の提出を求めていった。興味深かったのは、警察の執拗な捜査の過程で、実際になかった事実が、さもあったかのように作られていくのだ。

 つまり、私たちは強いものには弱い。その場から逃げたい気持ちで強いものに迎合して自白を取られる。横領罪でも、お金の動きがはっきりわからない場合は、Aさんの場合のようにお金の流れが明らかになるような自白を警察は求める。収賄財のように「お金を渡しました」「お金を受け取りました」といった供述が決定的となるような犯罪は、警察は必死になって自白をとる。

 共謀罪も、収賄罪と同じように、「犯罪を計画しました」という供述が決定的な証拠となる。自白をとるために警察は必死になる。取り調べられる側は、警察の取り調べが怖くて、その場から逃れたくて、ついつい捜査官に迎合する供述をする。そこで、本来ないはずの事件が作られていくことになるだろう。

 「共謀」とは、二人以上の者が特定の犯罪を計画することを意味します。したがって、「共謀」が「罪」というのは、犯罪が実行に至らなくとも二人以上の者で計画が話しあわれただけで罰せられることを意味します。

 これは、いままでの伝統的な犯罪論体系を壊すものです。
 というのも、現行の刑法は、原則として生命や身体、財産という法益の侵害という「結果」を発生させた行為(既遂犯)、或は「結果」を発生させる畏れのある行為(未遂犯)だけを処罰の対象にしてきました。こういう決まり事にするだけでも、十分に違法行為を抑止する効果があり、社会秩序の維持としては十分と考えられてきました。また、逆に結果さえも発生しない準備段階の行為で処罰することになると、市民生活を過度に委縮させることと考えられたからです。
 そのため、犯罪の準備段階に過ぎない「予備行為」は殺人罪などの重大な犯罪にのみ例外的に認められ、共謀は罪として認められてきませんでした。
 今回共謀罪の対象となる犯罪類型は600を超えるといいます。「殺してやりたい(くらいの気持ちだ)」と言っただけで処罰されることになるわけですから、何とも怖い話です。

 今回の「共謀罪」は、2020年の東京オリンピックを見据えて国際的なテロに備える法整備が必要だという背景があるようです。テロというのは暴力を行使することですが、日常的には無差別殺人行為の意味に私たちは受けとめていますよね。
テロを未然に防止したいという立法理由はわかりますが、現行法においても「殺人予備罪」「内乱予備陰謀罪」「凶器準備集合罪」「身代金目的誘拐予備罪」があり、十分対応できると思います。
IMG_1133.JPG 高田は、1月14日から本格的に雪が降り始めました。今も時々雪が降っています。高田に戻ってきて16回目の冬で雪には慣れてきましたが、それでも雪への思いは複雑です。

 気温が暖かくて雪が少ないのは、雪下ろしの重労働がなく生活の負担も軽くて随分助かるのです。しかし、零細の土建業は除雪作業を受注して冬場を乗り切りますから、雪の降る降らないは事業の継続に直結するわけです。また、雪が降らないとスキー場も稼働せず、スキーに頼る山の観光産業にとって暖冬は死活問題です。自分はどうかといえば、たしかに雪がないと生活は楽ですが、暖かい冬はどうも気持ちが悪い。多少は寒さを肌で感じていたほうが気持ちもキリッと緊張しますし、冬が厳しければそれだけそれを乗り越えた後の春を迎える喜びはまた格別なものがあるわけです。そういろいろ考えると、冬はやっぱり子どもの頃と同じくらいに降ってほしいと思うのです。

 1月11日から13日まで事務所の都合でお休みしてしまいました。

 ご挨拶が遅れてしまいましたが、どうか今年もよろしくお願いいたします。

img7.jpg今年ももう終わりです。

今年は、時間が過ぎるのがとても長かったです。

2月の野党5党の討論集会に始まり、自分たちの代表者を国政や県政

に送り出そうとひたすら動き回りました。

 ゆっくり休みたいところなのですが、仕事がたまり、大晦日の今も紅白

歌合戦を見ながら仕事をしています。

皆さんお元気で!ゆっくり休んでまた頑張りましょう!よいお年をお迎え

ください。

この世界の片隅に.jpg こうの史代さんは「夕凪の街 桜の国」で大好きになりました。「この世界の片隅に」はたしかテレビでドラマ化されたと思うのですが、まさかアニメ化されたなんて最近まで知らなかったし、それを高田世界館で上映することすら知りませんでした。とにかくいろいろなたまっている仕事を何とか仕上げて本日観に行ってまいりました。

 よかったです。みんな辛いことを経験しいろいろな思いを引きずりながら生きていく。これは戦争の時代も現代も変わらない。自分が感じたことはそんなところです。1月15日まで高田世界館で上映しています。ぜひご覧ください。 

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