共謀罪について反対だと言って、また「おまえは反対か?」と思われる。思われるのは仕方ないが、その怖さをうまく普通の人たちに伝えられないことをすごくもどかしく思う。

 私は、今回の「共謀罪」法案に心の底から反対する。なぜなら、冤罪が作り出されることの怖さ、警察の思い込み捜査の怖さを仕事を通じて実感している。「共謀罪」は間違いなく冤罪を生み出す。

 冤罪は、思ったよりも身近にあることを知ってほしいと思う。

 普通の人々は、冤罪なんてマスコミで報道される事件程度のものとしか思っていない。たしかに、冤罪を「裁判で無罪になる事件」だと限定すれば、無罪事件は起訴されたうちの僅か1%と言われている。少ないのだ。しかし、嫌疑を受けて逮捕・強制捜査された結果不起訴になる事件もある。例えば、任意捜査で2ヵ月近くも警察から出頭要請を受けて取調べを受け、その結果捜査機関側が途中で捜査を断念するという事件もある。こういう「捜査段階での冤罪」も「冤罪」ということになると、すごく事件数も多くなるはずだ。

 「裁判上の冤罪」も「捜査段階での冤罪」も、疑いをかけられる生身の人間には大変な疲労感をもたらすことには違いがない。こういう「捜査段階での冤罪」は、思い出すだけでも2回経験がある。

 そして、日本人は、警察のように強いものから疑われたり凄まれたりすると、その場から逃れようとしてその強いものの誘導的な質問に迎合するかのような供述を始める。これは、経験した人でないとわからない。

 私の依頼者Aさんは、ある法人の経理を担当していた。日々の業務で帳簿と実際の現金の流れと辻褄の合わない部分があった。それを法人の理事たちが集まった場所で理事たちから執拗に追及された。孤立無援のAさんは頭が真っ白になり、着服してしまったかのような供述をした。そして、その供述を録音され、業務上横領の疑いで逮捕・拘留された。このAさんは幸い不起訴になった。しかし、預金の履歴や買い物の履歴を見ても、Aさんが着服したという根拠になる証拠はなかった。民事事件で法人が損害賠償を求めることは理解可能だが、警察の強制捜査までするべき事件ではなかったと今でも思っている。

 私の依頼者Bさんは疑いをかけられて連日長時間の取り調べを受けた。これも、結局、警察から疑いをかけられて頭が真っ白になり捜査官に迎合する供述をした。そうしたら次の日から関係者が次々と取り調べを受け、関係各所に警察が資料の提出を求めていった。興味深かったのは、警察の執拗な捜査の過程で、実際になかった事実が、さもあったかのように作られていくのだ。

 つまり、私たちは強いものには弱い。その場から逃げたい気持ちで強いものに迎合して自白を取られる。横領罪でも、お金の動きがはっきりわからない場合は、Aさんの場合のようにお金の流れが明らかになるような自白を警察は求める。収賄財のように「お金を渡しました」「お金を受け取りました」といった供述が決定的となるような犯罪は、警察は必死になって自白をとる。

 共謀罪も、収賄罪と同じように、「犯罪を計画しました」という供述が決定的な証拠となる。自白をとるために警察は必死になる。取り調べられる側は、警察の取り調べが怖くて、その場から逃れたくて、ついつい捜査官に迎合する供述をする。そこで、本来ないはずの事件が作られていくことになるだろう。

 「共謀」とは、二人以上の者が特定の犯罪を計画することを意味します。したがって、「共謀」が「罪」というのは、犯罪が実行に至らなくとも二人以上の者で計画が話しあわれただけで罰せられることを意味します。

 これは、いままでの伝統的な犯罪論体系を壊すものです。
 というのも、現行の刑法は、原則として生命や身体、財産という法益の侵害という「結果」を発生させた行為(既遂犯)、或は「結果」を発生させる畏れのある行為(未遂犯)だけを処罰の対象にしてきました。こういう決まり事にするだけでも、十分に違法行為を抑止する効果があり、社会秩序の維持としては十分と考えられてきました。また、逆に結果さえも発生しない準備段階の行為で処罰することになると、市民生活を過度に委縮させることと考えられたからです。
 そのため、犯罪の準備段階に過ぎない「予備行為」は殺人罪などの重大な犯罪にのみ例外的に認められ、共謀は罪として認められてきませんでした。
 今回共謀罪の対象となる犯罪類型は600を超えるといいます。「殺してやりたい(くらいの気持ちだ)」と言っただけで処罰されることになるわけですから、何とも怖い話です。

 今回の「共謀罪」は、2020年の東京オリンピックを見据えて国際的なテロに備える法整備が必要だという背景があるようです。テロというのは暴力を行使することですが、日常的には無差別殺人行為の意味に私たちは受けとめていますよね。
テロを未然に防止したいという立法理由はわかりますが、現行法においても「殺人予備罪」「内乱予備陰謀罪」「凶器準備集合罪」「身代金目的誘拐予備罪」があり、十分対応できると思います。
IMG_1133.JPG 高田は、1月14日から本格的に雪が降り始めました。今も時々雪が降っています。高田に戻ってきて16回目の冬で雪には慣れてきましたが、それでも雪への思いは複雑です。

 気温が暖かくて雪が少ないのは、雪下ろしの重労働がなく生活の負担も軽くて随分助かるのです。しかし、零細の土建業は除雪作業を受注して冬場を乗り切りますから、雪の降る降らないは事業の継続に直結するわけです。また、雪が降らないとスキー場も稼働せず、スキーに頼る山の観光産業にとって暖冬は死活問題です。自分はどうかといえば、たしかに雪がないと生活は楽ですが、暖かい冬はどうも気持ちが悪い。多少は寒さを肌で感じていたほうが気持ちもキリッと緊張しますし、冬が厳しければそれだけそれを乗り越えた後の春を迎える喜びはまた格別なものがあるわけです。そういろいろ考えると、冬はやっぱり子どもの頃と同じくらいに降ってほしいと思うのです。

 1月11日から13日まで事務所の都合でお休みしてしまいました。

 ご挨拶が遅れてしまいましたが、どうか今年もよろしくお願いいたします。

img7.jpg今年ももう終わりです。

今年は、時間が過ぎるのがとても長かったです。

2月の野党5党の討論集会に始まり、自分たちの代表者を国政や県政

に送り出そうとひたすら動き回りました。

 ゆっくり休みたいところなのですが、仕事がたまり、大晦日の今も紅白

歌合戦を見ながら仕事をしています。

皆さんお元気で!ゆっくり休んでまた頑張りましょう!よいお年をお迎え

ください。

この世界の片隅に.jpg こうの史代さんは「夕凪の街 桜の国」で大好きになりました。「この世界の片隅に」はたしかテレビでドラマ化されたと思うのですが、まさかアニメ化されたなんて最近まで知らなかったし、それを高田世界館で上映することすら知りませんでした。とにかくいろいろなたまっている仕事を何とか仕上げて本日観に行ってまいりました。

 よかったです。みんな辛いことを経験しいろいろな思いを引きずりながら生きていく。これは戦争の時代も現代も変わらない。自分が感じたことはそんなところです。1月15日まで高田世界館で上映しています。ぜひご覧ください。 

 政権は、給付制奨学金の創設を検討している。一人につき月額30,000円程度。返済不要だから、できるとしたら画期的な制度だ。ただし、報道によれば、支給の対象は5000以上ある高校につき一人以上とされている。どうも、恩恵を受ける人たちは僅かな人たちに限られそうだ。

 たしかに、とにもかくにも「創設」することが大事なのだと思う。しかし、何かおかしんだよねと思う。そう思っていたら、2ヵ月前の朝日新聞の記事を読んでわかった。大学学費の高騰を放置したままにして、給付制の奨学金制度をもうけても、焼石に水ではないかということなのだ。

 論壇時評の小熊英二は、「75年に比べて、国立大学授業料は約15倍、私大授業料は約5倍となった。渡辺寛人によると、子ども一人を大学まで通わせた場合の教育費の家計負担は、すべて公立でも総額1千万円以上、すべて私立だと2千万円以上となる」と述べている(朝日新聞2016年10月27日)。
 
 その結果として学費が家計に重くのしかかる。小熊は続けて後藤道夫の論文を紹介する。「子ども2人がいる4人世帯では年収から税金・保険料・教育費を除いた生活費が、生活保護基準を下回る。大都市の世帯で子ども2人が大学に進学すると、年収600万円以下でも下回ってしまう」「そのため少子化や「子どもの貧困」が広がる一方、約半数の大学生が奨学金を借りている。」

 私も、離婚事件などで学費が家庭生活に影響を及ぼしていることを実感する。限られた収入をどれだけ教育費に振り分けたらいいのか。家計支出の配分をめぐって夫婦が争う。一方は子のために良かれと思い、惜しみなく収入を教育費に使いたいと思えば、他方はそこまで必要ないではないかと言うのだ。また、離婚により一方が高校生の親権者になった場合、その子の進学希望をかなえたくてもかなえてあげれない場合がある。家裁で決められる養育費では大学、専門学校進学の場合の家計を補うことは不可能なのだ。
 
 以上の事例が、貧困世帯ではなく、一般のいわゆる社会の中間層に含まれる人たちの間で普通に問題になってきているというのも特徴的だ。教育費の高騰化は社会問題、政治問題でもある。
 
 こういう事実からすると給付制奨学金の創設は、その意義を否定するものではないが、「焼石に水」のように思える。高騰する学費を下げることについても真剣に検討してもらいたい。教育についての格差の再生産を放置してはならないと思う。
 「墜落」とは高いところからおちること。「不時着」とは、航空機が飛行中故障または燃料の欠乏などのため航続不能となり、予定しない時、予定しない地点に降りること、をいう(広辞苑第二班より引用)。したがって、飛行隊の降下が制御できなかったものが「墜落」、最後まで制御できたものが「不時着」、制御できるかどうかで表現が使い分けられているのだと思う。
 
 今回の辺野古沖で大破したオスプレイの場合、大破した機体をみれば、パイロットがオスプレイを制御できなかったことは明らかだ。「墜落」であって「不時着」ではない。
 
 マスコミはアメリカと安倍政権とに気を遣って「不時着」という言葉を使っている。事実と違う表現をするようでマスコミとしては失格である。朝日新聞は、「不時着を試みて浅瀬に着水し、大破した」と書いた(12月15日付)。
 「浅瀬に着水し、大破した」は、つまり大破しないようなところで着陸すべきであったところ、制御できなかったのだから、つまり「墜落」と同じ意味である。なんでここまで丁寧に描く必要があるのか。「墜落」と書けばいいではないか。
 「不時着を試みて」というのはどうしてこんなパイロット操縦士の当時の意図した気持まで書く必要があるのだろうか?発生した事実だけ書けばいいという観点からすれば、このような表現は余計である。「不時着」という表現を入れ込んでアメリカと安倍政権に忠誠心を見せつけようとしたのだろうか?それとも純粋に、集落に着地しないようにしたというパイロットの気持ちに配慮しようとしたのだろうか。

 たしかに発生した事実にはいろいろな表現の仕方がある。しかし、マスコミは誰のために事実を表現しようとしているのか。それが問題だと思う。

 第2部は、米山さんと森ゆうこさんとをお招きして懇親会を開催しました。個人的には、二つの選挙を頑張られた皆さんとのねぎらいの会という気持ちでした。

 今でもいろんなことが思い出されます。

① 9月19日のかに池のスタンデング、県知事候補がまだ決まらない、いったいどうなるんだとみんが心配していました。

② 告示日の朝。掲示板のポスター貼りに集まってきたくださった人、人、人。寒いせいもあったけれど、いよいよ始まるという緊張感が事務所全体にただよっていた。

③ 原発の問題を伝えようということで長澤さんと植木さんとで智恵出し合って作ったチラシ3万枚。みんながほんとに大事に配ってくれました(増刷したいという意見に対して金どこから出すんだよと私が冷たい反論もしましたね)。

④ 政党幹部を招いての文化会館大ホールでの大演説会。でも、本当の主役は「守りたい生命」の大きなプラカードを掲げてくれた女性と子どもたちだったなあ。

⑤ 選挙最終日の蟹池交差点、市役所前交差点での大街頭宣伝。街宣車が来ないからといって愚痴を言わず新しいアイデアを生み出す力がなんともたのもしい。

⑥ そして、電話かけ。夜の時間帯にいつも来る人とは顔なじみになってしまった、電話の話し方、切り方置き方を指導もされてしまいました。当日も最後まで棄権防止の電話かけをしました。

 私には、主催者あいさつの場があったにも関わらず何もいえませんでしたが、選挙に携わった方々すべてにお互い本当に頑張ったねと言いたかったです。

 11月20日、ホテルハイマートにて「米山新知事を励ますつどい」を開催しました。第1部は米山新知事、森ゆうこ参議院議員の講演でした。
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 米山さんは県知事選の勝因として①福島事故の検証なくして再稼働なしという主張に大義があったこと、➁指揮官(森ゆうこ選挙対策本部長)の陣頭指揮がすばらしかったこと、➂米山陣営が相互に尊敬しあっていたことなどを挙げました。


  その通りと思いますが、②と➂だけ私がこの選挙期間中で見て思ったことを書きます。

 ②について。森さんは、県知事選で候補者探しに奔走しました。民進党が自主投票を決めた後でもあきらめず、「原発問題を争点にすれば勝てる」と最後まであきらめませんでした。候補者が決まらなくても、街宣車を用意し、掲示用ポスターの紙(すぐには手配できないそうです)を早くから抑え、県内3地域の事務所も抑え、2連ポスターの図案まで用意していました。決まらなかったのは候補者だけでした。森さんの執念と周到な準備があったからこそ、告示日前6日での立候補でもすぐに遅れを取り戻し、相手方陣営とどがっぷりよつの闘いができたのだと思います。


  ➂について。他方の米山さんは、考えの違う人の意見でも傾聴に値するものはすべて取り入れていたのではないかと思います。それが彼の言っていた「お互いを尊敬する」という意味に思いました。講演でも、米山さんは、森さんから「米山さんはいつも演説が長い」と言われ、短くしたら聴衆に受けた、その後にもう一度長くしてみたらやっぱり聴衆からは受けなかった、それで森さんのいう事もごもっともと思って演説を短くした、と言っていました(森さんと米山さんは、選挙戦の中で時には激論を交わしたというお話も聞いていますが)、米山さんの他者を尊敬するという姿勢が、陣営の大同団結を維持させて目標に向かって前進させる大きな要因になっていたものと思われます。

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  やっと決まりました。11月20日午後3時30分よりホテルハイマートにて開催します。米山さんにはこれからの新潟県政の課題を語ってもらいます。森ゆうこさんには泉田県知事の知事選撤退から米山候補擁立までの裏舞台を語ってもらいます。今年新潟で注目を浴びたお二人です。ぜひご参加ください。

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