2007年12月 1日アーカイブ
冬になると、毎日天気が気になる。忘年会シーズンで仲町は結構人が出ていた。
夜も晴れていて星も見え、素敵な気分で儀明川沿いを歩いて帰った。
ところで。
今日の新聞に糸魚川の米田市長の記者会見の概要が載っていた。姫川病院の
組合債権者の支援について「お気の毒であり、検討したが難しい」と語り、通常の
市民相談などでの対応にとどまるとの考えを示したという(朝日新聞12月1日付)。
これは、何もできないということに等しい。本当にそれでいいのか?
姫川病院は昭和62年に開院した病院である。病院施設の資金調達などのため
に積極的に組合員らに組合債を募集した。平成6年当時は病院施設の増築工事の
ために組合債によって資金が調達され、その時点で残高は5億6000万円に達して
いた。ところが、その後大規模な工事などがないにもかかわらず、組合債の残高は
平成13年に10億7680万円、平成17年に12億3900万円に増加した。どうも、
組合債の資金が運転資金に補填されてきた。
組合は、組合債の利息を2%余に設定し、しかも定期預金の利息と比較して優位
性を強調していた。高齢者らも、この利回りのよさと、やがてこの病院にお世話にな
るという気持ちとが重なって、預金のつもりで資金を預けていたようである。
問題は、病院の設立を誰が言い出したかというところである。もともと、この病院は、
地域の医療過疎を解消するために議会や市役所の関係者が主導したものであった。
設立当初の理事にはこのような自治体関係者が半数を占めていた。しかも、彼らが
引退する際、次の理事候補者を自分の関係者から連れてきた。したがって、その後も
市役所OB、議員が理事に名を連ねた。
歴代理事87名の内何と40名が、議員であったり役所職員O
Bであった。そして、米田市長も、病院の理事だった。記録を読むと、平
成12年以降、姫川病院は病院の公設化を糸魚川市に持ちかけ糸魚川市も継続的に
協議してきていたようである。
こういう政治の関係もあって、組合債保有者もまさか姫川病院が倒産するなどと思い
もよらなかったのではないだろうか。
このような経緯からすると、少なくとも、「お気の毒」というのは、かぎりなく他人事
のような言い方に思える。市長は、姫川病院の倒産に至った経緯を総括し、市として
の病院行政ありかたを将来のためにも自己批判をするべきである。
