「希望の党」が遺した「失望」と「希望」その2

  さて、希望の党は民進党に「踏み絵」を迫ることによって私に三つのことを教えてくれました。

 一つは、政治家の行動原理をあからさまにしてくれました。端的に言えば、選挙で当選することが第一の目的で政治的な主張・信条は二の次ということです。それまで、私は、政治家というのはどんな人でも信念に基づいて行動すると思っていましたし、民進党が「選挙互助会」と批判されてきた意味がよくわかっていなかったのです。希望の党は、民進党の政治家に踏み絵を迫ることにより、信念のある政治家なのかどうかを白日の下にさらしてくれたのです。政治家のノリの軽さに私は失望しましたが、ハッキリわかってよかったです。

 二つは、一つ目と関連しますが、政治家(主に民進党ですが)の信条が民意と余りにかけ離れていることを教えてくれました。数年前に政権与党だった政党が僅か1ヵ月前に代表になった者のツルの一声で事実上消滅する、或は自らの支援者に諮ることすらなく希望の党入りを決めてしまう。政治家と民意とはすごく乖離しているのではないでしょうか。原因は小選挙区制と政党助成金で党執行部に権力が集中してしまっていることと思われます。政治の現実をまざまざと見せつけられました。これも一つ目と同様に失望はしましたが、ハッキリわかってよかったです。

 三つは「希望」です。小池都知事の登場にもかかわらず希望の党は失速しました。新党の「賞味期限」はあっけなく切れてしまいました。そして、市民の共闘を求める熱意に支えられて立憲民主党が躍進しました。希望の党は、はからずも、護憲派市民の政治に対する成熟度が増したことを明らかにしてくれました。

 繰り返しになりますが、数年前だったら希望の党に民進党が合流して物語は終っていたはずです。ところが、今回は護憲派が自分で物語を紡いだのです。

 例えば、新潟5区では泉田前県知事が自民党の候補者になりました。県民は原発再稼働に慎重だった泉田氏が原発推進の自民党候補者になったことに憤りを覚えましたが、それにとどまらず、市民と政党とが協力し無党派の候補者を擁立し、負けたものの互角の闘いを繰り広げました。この2年間で市民の政治参加が成熟したことは明白です。

 私は、こういう市民と野党の協同という歴史の流れに希望を感じます。たしかに国会で護憲派は少数になりました。しかし、この少数派は、希望の党のふるいにかけられて遺った少数派、しかも民意に支えられた少数派であり、安易に打ち砕かれることはないでしょう。あとは、市民との共同によって戦力を拡大していけばいいのです。

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このページは、馬場秀幸が2018年1月 3日 20:09に書いたブログ記事です。

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