Jack Land 相談室 上越エリア情報誌 ジャックランド

死刑か無期か?量刑の選択基準

Q 秋田連続児童殺人事件は、二審でも無期懲役でした。二人の幼い児童を殺したのに、何で死刑にならなかったのか不思議でなりません。

 私は、世論の厳罰化の傾向を踏まえて一審の無期懲役判決が破棄され死刑判決が言い渡されるのではないかと思っていました。被害者が2名でしかもいずれもが幼い児童であること、特に男児殺害の動機が女児殺害で自分にかけられていた警察の嫌疑を他にそらすことにあり自己中心的であることなどからです。無期懲役を維持した控訴審の判決は正直私にとっても意外でした。

【死刑の適用基準】

 最高裁は、死刑の適用について①犯罪の性質、②犯行の動機、③犯行の態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性、④結果の重大性、特に殺害された被害者の数、⑤遺族の被害感情、⑥社会的影響、⑦犯人の年齢、⑧前科、⑨犯行後の情状、などを踏まえて「その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑やむを得ないと認められる場合には死刑の選択が許される」との考えを示しています。わかりやすくいえば、「救いようのない場合」に死刑を言い渡すことができるということです。

 この基準に照らしても控訴審判決は死刑を回避しました。その理由は、報道によれば①罪質と動機がいずれも強盗や強姦目的などのような利欲犯的なものではなく場当たり的な面が強い、②反省へ向けての意欲も認められる、③殺害の手段方法も、これまでの死刑相当事案と比べると、著しく執拗、残虐な部類に当たるとはいえない、というものです。しかし、これだけではよくわかりません。

【なぜ、「場当たり的」なのか】

 一審判決が公表されています。これを読むと、本件事件当時、被告人が不眠やめまいなどの症状を訴えて頻繁に精神科に通院していたこと、その頃、脳梗塞で入院した父親の身の回りの世話を被告人が母親から任されていたが、被告人が連日のように父親から些細なことで文句を言われ、さらには父親の病院での言動を看護師から注意されるなどし続けたことから激しいストレスを感じていたこと、家族からは仕事をしろと責められる一方、子どもがいては仕事もできないと悩んでいたこと、などの事情が認定されています。そのような鬱屈した心情が現実から逃避したいという気持ちになり女児を殺害したのではないか。そうすると「場当たり的」という評価も致し方ないのかもしれません(2009年4月12日記)。

【追記】

 もう10年も経ってしまったんですね。この事件、マスコミが連日秋田の山あいの町に押しかけ、刑事被告人の成育歴などが次々と暴露され、マスコミの報道の在り方も問題となりました。

 裁判官も人間です。できれば死刑を回避したい。死刑とそうでない刑との線引きはどこにあるのかということを考えた事件でした(2019年3月8日記)。