「スパニッシュセレナーデ」と「島原の子守歌」
音楽の才能はないけれど音楽の教育はきちんと受けた。
なんで、こんなことを書くかというと、長らく続いてきた上越市の小中合同音楽祭が今年で終わるというニュースを聞いた。
寂しいなあ。
「スパニッシュセレナーデ」「島原の子守歌」。これらは、ボクが小学校5年生の時にこの音楽祭に出場したときの演目だった。今でも、その時のことは鮮明に覚えている。とにもかくにも、40年以上も昔の話だ。今とは違って、この頃はとてつもなく田舎の小学校と都会の小学校の文化的な格差はあったんじゃないだろうか?ボクの学校は田舎で一学年一クラスしかなかった。合奏をするにしても1学年25人程度では心もとないので、例年、5年6年の統一チームが作られて秋の演奏会に向けて4月から練習を始めるのだった。
ボクは音符が読めなかったので小太鼓だった。音楽指導は若い女性のN先生だった。指導方法はすごくうまかったのだと思う。放課後の練習が楽しかった。秋の本番の演奏会は緊張した。まだ高田公園にあった厚生文化会館が会場だったと思う。都会の学校は大編成で何となく制服などの着こなしもカッコいい。ボクらは田舎からでてきた鼻たれ小僧軍団だった。それでも、先生の指揮棒に合わせ、小僧らの作りあげる無欲のメロデーが会場に広がっていった。終わった後の達成感。すごい(と思っているだけかもしれないが)拍手。今もメロデーは覚えている。
N先生は、おそらく田舎の小学校の生徒でも力を発揮してくれるんだということをボクらに教えたかったのではないかと思う。音楽会での成功は、たしかにボクらに大きな自信を与えてくれていた。
だから、今、教育現場がどんなに大変でも先生方の仕事ってのはステキなのだと思っている。相変わらず音符は読めないけれど、そんなことはどうだっていいのだ。