10月9日 福島要一 「「学者の森」の四十年」
大学生の時。自転車で谷中から本郷を超えて飯田橋に行った。行くところはいつも決まっていて「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」の事務所だった。家永三郎東京教育大学元教授がした教科書裁判訴訟を支援する団体である。ここでいろいろなことを学ばせてもらった。
その会の代表委員に福島要一という農学者がいた。戦前に東京大農学部を卒業して農林省の官僚になって戦後を迎えた。福島先生は1949年に日本学術会議の会員になった。詳しくは知らないが、先生はその後、83年7月に退任するまで学術会議を支えた。先生は、1986年10月に『「学者の森」の四十年』という歴史本を書いた。
先生と接点があったのは、84年から86年、私が大学2年から4年の時だった。先生は、その当時既に70歳を超えていたが、頭は誰よりも切れていたと思う。連絡会の会議にはどんな会議でも必ず出席されて的確な発言をされていた。私は、先生から時に叱られたこともあったし、珍しく褒められたこともあった。先生のことで思い出すのは、先生が時々、学術会議の将来を憂いていたことである。その当時、何も知らない私は、学術会議のことなんて何も知らなかったから、先生の言うことを聞き流していた。
しかし、その頃は、ちょうど学術会議の会員の選任方法が、公選制から推薦制に法改正がされたときだった。先生はおそらく政府の介入がくることを予期していたのではないかと思う。
「「学者の森」の四十年」は上下2巻の大著である。自分の手元には残念ながら上巻しかない。上巻は戦後まもなく学術会議を立ち上げたときから1956年頃までだ。下巻には先生が憂いていた内容もおそらくわかるんだろうと思うけれど。ネットで探したがさすがにネットでも売られていない。先生がどういうことを考えていたのか無性に知りたい。