2月9日 高田世界館で「泣く子はいねぇが」を観る その3
ラストは最高によかったね。
主人公は、妻から子を会わせるつもりはない、と言われてもあきらめきれず、死んだ親父が遺してくれたなまはげのお面をかぶって子(名前は「凪」)に会いに行こうと決意する。行先は妻の再婚先の家。そこでは、なまはげの日、親戚を向かい入れた宴席があり、凪は新しいお父さんに大事に抱っこされていた。
主人公は、なまはげの面をかぶってどんどんどんとガラス戸を叩く。出てきた妻は、なまはげが主人公だと気づき中には入れようとしない。それでも、主人公は「泣く子はいねえが」と叫び続ける。妻はその迫力に押されてガラス戸を開ける。主人公は宴席に入り、自分の子凪に向かって「泣く子はいねぇが」「凪(なぎ~)」と大声で叫ぶ。こんな内容でした。
これって、離婚して親権もなくした親の面会交流と同じなんですね。そういう観点からみるとおもしろいんです。
まず、ガラス戸で主人公を迎えたときの妻の心理的な葛藤ですよね。もう新しい生活をするんだから来てほしくないし、凪に会ってほしくない。それでも主人公はなまはげ姿で「泣く子はいねぇが」と訴える。ここで主人公は決してお面をはずそうとしません。これが一つのメッセージだと思いました。正体は絶対明かさずになまはげとして演ずるだけだから許してくれないか、というメッセージです。面をかぶったまま叫び続ける姿をみて、妻もそれを感じ取って入ることを許しくれたんじゃないかな。
そして、子に向かって叫ぶシーン。ここでも「なぎ~」「なぎ~」と叫ぶが決してお面をはずさずになまはげを演じきって終わっている。妻も子も新しい生活に踏み出したのだから、自分がそれを壊すことは絶対しない、父親としてアピールすることはないけれど、「なまはげ」として子の成長はこれからも見守るよ、という強いメッセージを放っていると思いました。こういう態度こそが立派な大人になったということなんですよね。そして、理想的な面会交流でもあると思います(笑)。
主人公は、来年も、再来年も、なまはげとしてナギちゃんの前に現れて「泣く子はいねぇが」と叫ぶんじゃないだろうか。そういう希望がラストシーンから見えてきました。ホントにいいラストでした。