5月22日 家裁調停の待合室での話から「家族は親しい他人」を思い知る。
今日の家裁調停は長かった。依頼人と一緒に待合室で一時間も待たされた(相手方が複数いたから仕方なかったのだけれど)。
その間、依頼人からアパート経営についてのノウハウを語ってもらった。結構その話がおもしろかった。詳細は言えないが、その人の経営哲学を聞くことができた。
こんな感じで、調停では、相手方が調停室に入っている間、こちらは待合室で依頼人とともに待機する。この時間の使い方は弁護士それぞれである。お客さんと話をしている人もいれば、もくもくとパソコンで仕事をしている人もいる。
私は、その待合室の時間はできるかぎりお客さんと話をする。理由は、普段の打ち合わせは大体が時間不足である。お客さんも時間を1時間程度に区切られても話したいことがたくさんある。その中には弁護士が聞いておくべき情報がたくさんある。なので、普段の打ち合わせで足りない分をその場で依頼人に話してもらうことにする。
待合室で話をした依頼人との話で勉強になったことはたくさんある。
ある事件では、父母と子とが仲違いをして父母が子に子が結婚する際に支払ってあげた結婚式の費用一切を返還してほしいと言ってきた。子はもう二度とこんな親たちと話したくもないし会いたくもない、親子の縁を切りたいと言っていた。また、あるときは、育児に疲れた女性が、男性に親権をとって子どの育児をしてほしいと言っていた。どれもこれもが本音である。家族=愛情にあふれているという一般的なイメージとは別のものを私は学んでいた。
最近の新聞記事で鶴見俊輔が家族を「親しい他人」と言っていたという話を読んだ。まさにそうなのだが、ボクは、待合室の雑談の中で依頼人の皆さんから学ばせてもらっていたということになる。