7月14日 麻原彰晃の遺骨の所有権? その2
遺骨をめぐって争うことなんてあるのか? と昔は思っていた。
故人が宗教上の教祖であったり、組織的な指導者であったりすると、遺骨を持っている者こそが本流、他とは格が違うと思われるのだろう。そういう特別な場合ではなくとも、身近で大切だった人に死なれたりすると、その人をいつまでも大事にしたい、忘れずにいたいと思う余りに遺骨がほしいと思っても不思議ではない。最近、そんなことを考える。それは自然な感情ではないか。
だから、遺骨をほしいと思う人がいたなら、その所有権者を誰か一人に決めることもせずに、場合によっては分骨もあってもいいんではないか。争わせることよりも分骨を認めてしまったほうが、故人も喜ぶこともあるんではないだろうか?