7月20日 万内川砂防公園に行く。涼を求めて。
今日も暑いですね。
実は、砂防公園に行ったのはこれが初めてではありません。例年、8月のお盆の時期にこの公園で夏祭りがあり、家族で行ったことがありました。でも、遊ぶのが主目的で砂防事業の話や堰堤の話何も知らなかった。今回、歩いて初めて知りました。なんか何も知らない自分が恥ずかしくなりました。
昨日書いた川にある石でできた堤は「堰堤」(えんてい)といいます。土砂災害を防ぐために造られたものです。
「明治 35(1902)年 5 月 19 日に妙高市(新井)の粟立山が大崩壊を起こし、万内川と日影沢を埋め尽くしました。やがて土石流となって、下流の西野谷集落をおそいました。集落の半分以上が流され、ほとんどの田畑が失われました。」(新潟県「万内川砂防公園」のホームページより)。死者1名、全壊家屋30戸の大被害です(熱海の土石流災害のようなものだったのでしょうね)。
砂防工事は大正10年に始まりました。石工が石ノミを使って川原で割石を作りこれを積み上げる、中に詰める砂利は川原にある石を金槌で砕いて作る、セメントや砂は直江津から馬車で運ぶ、現場での資材運搬は村人が二人一組となりモッコを担ぎました。女の人でも50㎏のセメントを、2袋はせおって運んだといいます。
川べりから上流に向けていくつもの堰堤を観ることができます。自然災害に立ち向かった人たちの労苦、大切にしないといけないなと思います。