英語民間試験導入でガチンコの議論を期待する。
試験というのは機会の平等が命である。
しかし、大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験は、受験生の経済状況や居住地によって不利が生じるのではないかとの懸念が広がっている。萩生田文部科学相は「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と言って不平等を許容するかのような発言をした。多くの学生たちに関わる大問題である。野党も大臣の発言を追及し、同試験の延期を求めることで一致している。この際、しっかりと議論してほしい。
民間試験導入の経緯についても詳しく知りたいところだ。子どもらの教科書をみると、英語教育はボクらの頃と大分違ってきたように思う。文法よりも聴くこと、しゃべることが重視されてきたように思う。民間試験導入はそういう流れの中でどのような位置づけなのだろうか?
仮に民間の英語試験の内容が現代の国際化の要請に合致するとしても、どうして国が試験づくりをしないのだろうかという疑問もある。
大学入試は、高校、大学教育の継手みたいなもので極めて重要である。何年も時間をかけて議論してもいいのではないか。