10月8日 いわゆる「どっちもどっち」論に惑わされるな。
菅首相が日本学術会議が推薦した6人の委員の任命を拒否した。学術会議の政治的独立性を保障する観点から、総理の任命権は形式的でなければならない。今回の任命拒否は明らかにおかしい。
ところがだ。
この任命拒否に対して問題点があるといいつつ、学術会議の体制や在り方そのものにも問題点がある、と批判を展開する人たちがいる。例えば、報道ステーションに出演している野村修也などの発言はこんな感じであった。しかし、このコメントの仕方もおかしいと私は思う。
学術会議が全く問題があるなどとは思わないが、そのおかしいと指摘されている事実があるからといって、6人の任命拒否が正当化されるのだろうか。そんなわけはないと思う。学術会議がおかしいと指摘するコメントは、実は任命拒否がおかしいのかどうかということの解明には正直何も役立たないのである。じっくり考えれば、そういうことになるだろう。
ただし、テレビのように瞬時に映像と音声とを送りつけ、直接的な印象を植え付けるメデアで報道されると、菅首相も問題だが、学術会議にも問題があったんだろう、という大まかな印象だけが視聴者に植え付けられてしまう。つまり、首相も学術会議もどっちもどっちということになり、結果として任命拒否に対する批判が弱まることになる。こういう効果がテレビを通じて報道されるなら、政権としてはご満悦だろう。
ボクらはもっともっとテレビを批判的に見ないといけないんではないか?