11月23日 墓守のため息 毎日朝起きて妙高三山を眺める日々
朝起きるとどんな日でもカーテンを開けて妙高三山を眺める。そこから墓守の一日は始まる。山の姿を眺めるだけで気分が落ち着くのである。
小学校の帰り道の向こうには妙高三山(妙高山、火打山、焼山)がそびえ立っていた。大学に行って東京で暮らしたが何となく落ち着かない。弁護士になって新潟で生活していたが、やはり落ち着かない。ここで生活をしていてやっと気が付いた。高い山がないのである。いつでもふと横をみれば高く聳え立っている山、それが自分には必要だったのである。
ところで、我が家からみると、左から妙高山→火打山→焼山の順になるのだが、笹ヶ峰に行くと、それが全く逆になるのだ。裏側に回るのだから当然といえば当然なのだが。場所が変わると観方も変わる。なんか一つの事件が立場によって異なって見えてくるのとおんなじだとくだらないことを考える。
妙高山も火打山も焼山も頂上は白くなっている。そろそろ里にも雪が降るんだろうか?