2月18日 検事長の定年延長、余りにもお粗末すぎて怖くなる。
安倍政権の「桜を見る会」の私物化も悪いが、人事権の私物化もそれと同じくらい悪い。
検察官は、国民を刑事事件で訴えることのできる唯一の機関である。彼らが何もしなければ当然裁判所が動くことはない。そういう意味で検察官は準司法的権限があると言われる。
つまり、司法というのは裁判所だけではない。検察官も(また弁護士もそうなのだが)司法の大事な役割を担っているのだ。だから、行政機関が検察官の身分に対してあれこれ口出ししてはいかんのである。これは三権分立の理由にもとづくものだ。裁判官にも身分保障がある。裁判官の人事を行政機関が勝手にしたらみんなおかしいと思うだろう。今回の検事長の定年延長はそれと同じことだ。これは、司法界の常識でもある。だからこそ、今までは行政機関が口出しをすることなどなかったのだ。少なくとも表面的にはだが。
だから、余りにも、法の理屈を変更してまで介入する安倍政権の姿勢は異常なのである。安倍総理は国会で、法の解釈変更をしたのだと言ったらしい。しかし、時の内閣が自分たちの一存で法の解釈ができるなんて聞いたことはない。また、最近の森法相の答弁によれば、内閣が推し進める定年延長の一環なのだという。でも、これってなぜこの当該検事長の定年延長だけするのかの理由になっていない。
理由が余りにも粗雑。粗雑なのに許されてしまうのだから、とんでもなく恐ろしい世の中になってしまったと思う。