6月27日 村上春樹『猫を捨てる 父親について語るとき』(文藝春秋)
今まで村上春樹さんの本は読んだことがありません。自分の周りの知人友人で愛読している人をしなかったし、薦めてくれる人もいなかったから。何よりも現代のベストセラー作家は自分には縁遠いと自ら思い遠ざけていたのかもしれません。
新聞の書評欄に紹介されていたのを読んで読む気になりました。
ある日、村上少年が父親と一緒に海岸まで行き飼い猫を捨てるのです。ところがです。二人が家についてみるとその猫が何と自分たちよりも早く帰っていた。茫然とした後で父はふとホッとした顔をする。そしてまたその猫を飼い続ける。こんな日常的なエピソードを村上さんは父が生きてきた生活歴を重ねて物語を紡いでいく。どうしてそういうことを書こうとしたのか、それは読者が想像するしかありません。
村上さんはこんなことを書いています。
「言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えて行くのだとしても。いやむしろ、こう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。」
ネコが帰ってきたときのお父さんのホッとした様子。村上さんはそれを読者の皆さんに伝えたかったんだと思います。全然、村上さんの本読んだことがなかったんですが、他の小説読もうかなと思いました。村上さんの考え方すごく共感できるんです。台湾出身の画家・高妍さんのイラストがこれまた素晴らしい!