6月3日 政治家は尾身さんの発言に真正面から挑むべき。
尾身さんが東京オリンピックの開催の可否に関連して積極的な発言を繰り返している。これに対して、政治家は「全く別の地平から出てきた言葉」(丸川珠代五輪担当相)、「自主研究の成果」(田村憲久厚労相)突き放してまともな議論をしない姿勢が目立つ。政治家は尾身さんの捨て身の発言を無視せずに議論を真正面から挑んではどうだろうか?これは何よりも国民が望むことであろうし、政治の安定にも必要なことだと思う。
感染者数は、緊急事態宣言の延長で減少傾向にあるとはいえ、行動制限を緩めればまた増加する可能性がある。現に今もコロナで毎日のように全国で死者が続出している。これからの政策決定に科学的な視点による現状分析、予測が緊急に必要となっているのは言うまでもない。
科学者は、昨年初頭から新型コロナウイルスの感染爆発について警鐘を鳴らしてきた。中には不安をあおりすぎる人もいたかもしれないが、感染者数が日を追って拡大していく予測はその後の日本の現実によって立証されている。これに対して、夏になれば感染は収束する(麻生副総理)などとのんきなことを言っていた政治家もいた。政治家は科学者の分析に耳を傾けるべきである。
もちろん、政治は多様な利害関係を調整して人を支配することを旨とする。科学者の話を聞いていればいいというものではない。しかし、コロナ禍に関して言えば、政治に支配されている人々が今死ぬか生きるかという問題なのである。政治がどういう価値判断をするにせよ、その価値判断の過程を明らかにすることが必要だ。
尾身さんは、東京オリンピックを開催しては人流が増加し感染者がまた増えると単純なことを言っている。これに対して突き放した発言をするのでは、国民は国家の無謀な政策の犠牲者になれというに等しい。私は、国民がどうして犠牲者にならなければいけないのかという疑問に駆られる。その疑問に答えるには、政治家が尾身さんの発言に自分たちなりの言葉で真正面から論戦を挑むしかないのである。
7年余り続いた安部政権は多数派にあぐらをかいてまともな論戦をしなかった。今もその延長である。しかし、コロナを押さえることを優先するのかそれとも東京オリンピックなのかという問題に対して、そういう安直な態度で対応しても、国民が黙っているとは到底思えない。