雪の街だより 高田在住の弁護士馬場秀幸のブログです

9月1日 山上容疑者のこと その2

2022.09.01

 少し涼しくなってきた。
 
 山上容疑者の生い立ちには同情するし、統一協会やそれと交際を密にしてきた安倍元首相を恨むまでは納得できる部分はある。しかし、だからといって殺害に至るには飛躍がありすぎる。どんなに恨む気持ちがあったとしても、それを殺害行為で晴らすということは認められていない。法の裁きを受けて当然である。

 ただし、統一協会への異常なまでの寄付行為が原因で家庭が崩壊し十分な教育も受けることができなかったのは、すべて山上容疑者が引き受けるべき個人的な事柄なのかどうか。さすがにそれは違うだろう。だとしたら、彼は、殺害行為以外のどのような方法でその無念を晴らすべきだったのだろうか?

 識者は何と言っているだろうか・
 
 宇野重規東大教授は、山上容疑者について「投票を通じて意思を表明したり、不当にお金をとられたなら世論や裁判所に訴えたり、といった行動をとることができたはず。それらをすっ飛ばして凶行に走っています」(選挙や言論や訴訟で自身の境遇を変えられるという認識が初めからなかったとしたら)「・・・これは民主主義の敗北だと思います。現代は多くの人が社会に対して不満を持ち、問題を抱えている。たいていは社会的な背景のある問題です。でもあたかも個人の問題のように見えてしまう。『社会問題の個人化』と呼ぶ研究者もいます」と感想を述べている(朝日新聞2022.7.18「不満・怒り、個人の問題とせずに」)。社会問題が個人化してしまい、民主主義のシステムが彼の無念を掬いきれていないというわけだ。
 中島岳志東京工業大教授は、「いまの僕たちは、自己責任という呪いのような人間観にとらわれている」として「自分の弱さを認めること。誰を頼っていいし、泣きついてもいい」と人間観の根本的な見直しを提唱する(朝日新聞2022.8.1「元首相銃撃いま問われるもの」)。
 
 個人に発生した問題を社会の問題としてとらえていくこと。もちろん、具体的な即効薬などまるでなく、道のりの長い課題である。

馬場秀幸  カテゴリー:その他