国の立場と個人の立場 3
でも、また疑問が湧いてきてしまいました。
なんで、政府は過去に現在と真逆の答弁をしていたのだろう?と思いませんか。
かつてシベリア抑留者が日本政府に被害補償を求めたことがありました。日ソ共同宣言で「その国民のすべての請求権を放棄し・・・」とありました。被害者は、損害賠償請求権を日本政府が条約で放棄したのだから、日本がソ連に代わり賠償してほしいと主張したのです(山本晴太「韓国・徴用工判決 「解釈」を変えたのは誰か」(『世界』1月号所収)) 。
この抑留者要求を政府はかわしたかった。そこで答弁したのが外交保護権の放棄。つまり、個人の請求権を放棄したわけではないから、個人が裁判で相手を訴えればいいではないかということです。
この解釈は、先に書きましたように日韓請求権協定の解釈にも引き継がれました。そうでなければ、朝鮮半島に資産を残してきた日本人から日本政府が補償を求められた可能性があったからです(同上より引用)
なあんだ、日本政府はその時々の都合によって解釈を変えたんだ、ってことになりますね。
現在の日本政府の便宜的な解釈変更については吐き気がでますが、それはさておき、冷静に考えれば、国家が個人の請求権を一方的に放棄するなんてことは、個人の尊厳という立場からありえないと思うんです。特に現代においては!
だから、「外交保護権を放棄」というのは理論的に正しいと私は思います。