雪の街だより 高田在住の弁護士馬場秀幸のブログです

首里城炎上 ショックです。

2019.10.31

 ’60年代。ボクより7歳年上の姉は沖縄の離島の方と文通をしていた。送られてくる手紙には合衆国の切手が貼ってあり、沖縄が特別なところにあるんだと思っていた。それが70年代になり日本の切手が貼られるようになった。沖縄の日本復帰が実現した。記念切手の絵柄は首里城の守礼の門だった(多分そうだと思うのだが)。本土復帰の少し前から沖縄の高校も甲子園への参加が認められるようになった。ラジオから祖国復帰を記念して沖縄の高校が夏の高校野球全国大会に参加したということが野球の実況中継とともに聞こえてきた。絵やテレビやラジオでしか見聞きしなかった沖縄。その沖縄の象徴の一つが首里城であり、その玄関口に立つ守礼の門であった。
 大学に入り、教科書問題、教科書検定訴訟のことを知り、かつて沖縄戦によって沖縄住民の4人に1人が戦争の犠牲者となることを知った。
 そして、10年前、家族を連れて初めて沖縄を訪れることができた。空港に降り立って初めて観光した場所が首里城だった。現地に行きさっそく守礼の門の前で記念写真を撮った。記念切手の絵柄で見ることしかできなかった守礼の門はそれなりに感動した。距離的にも時間的にもはるばる来たなあと思った。その守礼の門のある首里城が一夜で炎上してしまったというのだから、もう言葉がでない。沖縄の方々の心情を思うとなおさらである。

 

馬場秀幸  カテゴリー:その他